2011年10月

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仲良し夫婦と出かけた久しぶりのキャンプ。
行き先も南房総(に急遽変更したのだった)


お馴染みの看板でモデルになってもらった。


あ、ご夫婦でなく飼ってるワンちゃん達にネ。


それぞれまったく違った個性あるけど共通してかわいく見てて飽きない。
もっと見たいヒトはコチラ→http://plaza.rakuten.co.jp/kinokoohji/


よく判んないけどキャンプにはやっぱりイヌだ!


ネコだと・・・逃げられて一緒に帰れない気がする・・・

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「艶」「援」「秘」「乱」「熟」

などの字がケータイのメールタイトルに躍っている。

最近やけに迷惑メールが増えたのだ。

まあ定期的にそんな時期はやってくるのだけど今回は特にひどい。

対策はとってるし、元々アブナイ世界には近づかないことにしてるのに・・・
なんのつもりで我が静かな心を乱すのだ、うるさい、アタマくる、ホント腹たつ。

でも。
イヤなヒト近所にいるから引越しますみたいでアドレス変えるのはイヤだなァ。


まあ、気にしなければいいのかな。


「誘」にも負けず「惑」にも負けず丈夫な「志」を持ち

煩悩ひしめく脂ぎったタイトルにもいつもニコニコ笑っている。


そういうものにワタシはなりたい。


あ、

また来た・・・!

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先日、友人の誘いに乗って登録してみたFaceBookでの出来事。

登録したはいいケドなんだかサッパリ使い方が判らない、全部をさらけ出すのはなんだか怖い。ハダカになるには勇気が要る。

ビクビクしつつ一枚一枚脱ぎ捨てるみたいに露出度あげていくと・・・


おお~!

どういうカラクリなのか「こいつ友達ちゃうん?」「どっかで繋がっとる筈やでェ」「そのヒトやったら登録してはるやん」みたいに世話焼いてくれる。

その結果。

いつの間にか縁遠くなり連絡先すら判らない、そんな数十年来の生き別れが数人なんと! 見つかったのである。

「おお~い、生きてたら連絡しろ~」とテレビで泣き崩れなくても失踪人が判ってしまうのだからすごい。


「○○が『いいね!』と言っています」ってのが馴染めなかったけど、いやいや。 使いようでした。(今更!)


知り合うのは難しいけど、疎遠になるのはいとも簡単。

縁は大事にしなきゃです。



一方、最近、良い波との縁がない週末が続いています。

残念・・・!

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少し前だけど家の前でクルマの警報がわんわん鳴って止まらなくなった。
これはイカン。迷惑すぎる。とりあえず遠くへ。
あれ?エンジンも掛からん。
あ、警報ってクラクションのバッテリーヒューズ外せばいいんだっけ。
ん?外しても止まらん。

5分鳴っては5分止まるを繰り返し、まるで泣き喚きながらテコでもその場動かん「買って買って小僧」のようなクルマ。

オロオロすること数十分。「こら!この子はまったく!聞き分けのない!」と昔よく叱られたように叱ったらようやく沈黙。


いろいろ聞くと、クルマ泥棒も手練れは警報止めるのにやはりまずバッテリー外すらしく、愛車にはこれに対応する賢い警報が付いておりました。
原因? ただのバッテリー切れ…近所の皆さんゴメンナサイ!
泥棒のバッテリー外しとカン違いしたようで。そら走らんわ。
かしこ過ぎるのも考えもんで。
ボクを見習え。


良くなったはずのモノが使いこなせず逆にヒーヒーいう。
最近特に増えた気もしますが、最低限学ばないと乗り遅れるってコト自体がなんか腹立たしい傾向で
・・・
一生懸命パドルしないと乗り遅れるボヨ波とどこか似てる。

砂が減ってそんな波も増えてます。

で写真もそんな週末鹿島のボヨ波でした。


そういえば。
スマートホンに変えたばかりの妻も(難解さに)アタマから煙出してたっけ。

近寄らないことです。

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物心ついた頃

「ボクの名前なんでイチロウやの?」 と聞いたら

「最初にに生まれた男の子やったからヨ」 みたいな返事が返ってきて幼心に

「おい、男何人揃えるつもりやってん!?」 と早くもボケツッコミな印象持ったことボンヤリ思い出す。


その後、イチロウの名が極めてベーシックで、たいていその前に「伸」とか「聡」とか付けるのが流行りだった事も判るがまあいいや。

背もさほど伸びず聡明でもなかったので変なプレッシャーもなくそれはそれで我が両親の先見の明に感謝です。

いずれ墓石に刻まれそれも朽ち果てる頃にはとうに忘れ去られ・・・それは誰しも似たり寄ったりなんだし。


と、祝う歳でもなくなって以来、大体はこんなふうに感謝と無情の心持ちで誕生日を過ごす。

そんな名で生を受け今日でとうとう46年。


でも最近は経済とか会社とか年金とかまずは老後の不安も多く「墓石がアイスの棒とかにならなきゃいいケドなあ」と脳裏をかすめる。

だからやっぱりそこは「よくぞここまで生き抜きました」っていう完走賞の意味で、これからは再び毎年自分を誉めてやろっかなァ。


あ!必ず海行って過ごすのもいい。

仕事休めれば、だけど。


(これ読まれてる)いい歳の皆さん。

どんなふうに過ごされてます?


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